京大職組国際卓越研究大学制度に関わる声明
京都大学職員組合中央執行委員会は10月4日(水)に次のような声明を発しました。
↓ 231004_国際卓越研究大学制度に関わる声明.pdf
http://files.kyodai-union.gr.jp/doc/seimei/231004_kokusaitakuetsu_seimei.pdf
以下、声明文のテキストです。
2023年10月4日
国際卓越研究大学問題にかかわる声明
京都大学職員組合中央執行委員会
今年9月1日、文部科学省が国際卓越研究大学の認定候補を発表し、京都大学の「落選」が明らかとなりました。わたしたち京大職組は、これを契機として京都大学のあり方、さらに日本の大学政策について根底的な方向転換が必要だと考え、以下3点を提案します。
1 政府・文部科学省に対して、国際卓越研究大学制度を廃止し、恣意的な予算配分をやめ、公費により大学を維持する責任を果たすことを求めます。
日本の大学の研究力低下の根本的要因が、運営費交付金や私学助成金など基盤的経費のカットによる人員削減、雇用の不安定化にあることは明らかです。政府は「選択と集中」を合言葉として、一定の「評価指標」に基づき交付金を増減させてきました。その指標はしばしば恣意的であり、学生の出席・入退館管理におけるマイナンバーカード活用を運営費交付金配分に反映させる方針さえ定めました(「デジタル社会の実現に向けた重点計画」2023年6月9日閣議決定)。こうした政府の場当たり的で無定見な方針は、大学の現場を混乱させ疲弊させ続けています。
この「選択と集中」による大学管理政策の総仕上げが、国際卓越研究大学制度です。同制度は、わずか10名の「有識者」が「全学的な変革」への「意欲」の有無という主観的評価を交えて配分先の候補を決定しました(「国際卓越研究大学の認定等に関する有識者会議(アドバイザリーボード)の審査の状況について」2023年8月30日)。研究力強化のための助成といいながら、学術的価値に基づいた公正で透明な手続きを軽んじ、議事録さえ残していません。こうした不透明な「審査」が政府・文科省への「忠誠心競争」を煽り、大学の自律性を根底から損なうものになっています。
政府・文科省は、「選択と集中」に基づく恣意的な予算配分をやめ、基盤的経費の保障こそ大学の研究力の回復に必要だと認めるべきです。
2 京都大学執行部に対して、国際卓越研究大学への再申請を断念し、基盤的経費の充実と安定財源化を求める動きのリーダーシップをとることを求めます。
湊長博京大総長は、国際卓越研究大学申請にかかわる「説明会」において、運営費交付金の減少が非正規職員急増など大学組織に大きな「歪み」をもたらしていると認めた上で、交付金増額の実現可能性はないという見解を示しました(『京都大学新聞』2023年7月16日)。ですが、「政府は財源もないのに防衛費の大幅予算増額を認めたのに、なぜ大学の予算は増額できないのか」と広い視野から問いただすことこそが、国立大学総長が社会で果たすべき役割ではないでしょうか? 株式・債券市場での資産運用に依拠した大学ファンドが安定した資金の供給源でありえない以上、運営費交付金の増額と安定財源化を政府に求めるべきです。わたしたちは、国際卓越研究大学のような「蜘蛛の糸」にすがったつもりで地獄に落ちる仕組みの先導者となることではなく、あらゆる大学の基盤的経費の充実を求める試みのリーダーシップをとることを総長に求めます。
わたしたちはまた、京都大学執行部に対して、ボトムアップな意思形成の仕組みの再構築を求めます。京都大学が国際卓越研究大学に「落選」した理由として、「学内の意思統一の不十分さ」が挙げられています(『京都新聞』9月2日付)。ですが、ボトムアップな意思形成の手続きを経ずに「学内の意思統一」など図れるはずもありません。大学という組織の活力が構成員ひとりひとりの創意を根幹としている以上、独裁国家のような見かけ倒しの「意思統一」はむしろその活動を沈滞させるものでしかありえません。申請にかかわる教授会資料は「取扱注意」「部外秘」とされ、記者会見も開かれませんでした。湊総長の「説明会」も事前に質問こそ受け付けたものの、一方向のオンラインシステムで「お言葉」を聞くだけでした。学内外への説明責任が果たされないままであるばかりではなく、「落選」に対する責任の所在も曖昧なままとなっています。こうした秘密主義と「無責任の体系」の招来こそ国際卓越研究大学の危うさを物語るものです。
3 京都大学の構成員に対して、それぞれのやり方で市民社会に対する説明責任に向き合うことを呼びかけます。
国立大学法人化で目指された「社会に開かれた大学」は、今では政財界にだけ開かれる大学になりつつあります。社会一般に対して説明責任を放棄し、自らを閉ざす傾向が大学内で強まっています。そのような閉鎖的な傾向が大学への公費投入の意味について市民社会の懐疑心を増大させ、公費の減少が政財界への従属と依存をさらに強化し、さらに大学を閉鎖的なものとしていく「負のサイクル」が生じています。
この悪循環を断ち切るためにも、京大執行部は大学に投入される公費が市民の税金に基づくことを再認識し、「学問の自由」の核心に市民社会の付託に応える責務があることを思いおこす必要があります。日本学術会議は、科学者が「社会のための科学」を構築する必要があるとして、「人類社会が遭遇しはじめた地球規模での「行き詰まり問題」に勇気を持って向き合い、諸課題を俯瞰的にとらえてその根源的構造を明らかにし、50年から 100年先を見据えた解決の方向を「科学者の助言(unique voice of scientists)」として提示する」ことを求めています(日本学術会議「学術と社会常置委員会」報告書「現代社会における学問の自由」2005年)。わたしたちは、京都大学の構成員が目先の予算に幻惑されず、各自の研究・教育活動を通じて新自由主義の蔓延や気候危機の深刻化などグローバルな「行き詰まり問題」にどのように資するのか、説明責任に向き合う努力を力強く行うことを呼びかけます。
時宜を得た、かつ要を得た声明に感謝します。大学を超えた大学関係者個人単位での大学問題を考える全国ネットワークの形成の必要を痛感しています。
お上に物申せる京大は日本で最も貴重な大学だとよく思います。
大学は予算が減っていく上に、予算確保のための仕事が増え、研究する金も時間も足りないと、教授や関係者がよく嘆いています。
政府は国家プロジェクトに大手広告代理店を入れて中抜きさせたり、ボーダーフリー大学に国費を費やしたりと、削減できる巨額の無駄がある。
それを以前のように無条件で国立大学に予算配分すれば、研究成果は上がるし、政府が望む国際的に卓越した大学が増えるでしょう。
まずボーダーフリー大学はもちろん全ての大学への官僚天下りを禁止するべきだと思います。