2025年2月20日京都地裁タテ看訴訟最終弁論・結審における陳述〈タテ看の撤去は組合にたいする存在論的暴力である〉
キャンパス外構への看板掲出を一方的に禁じ、2018年5月および2020年6月に職員組合の看板を強制撤去したことをめぐり、職員組合が京都大学法人と京都市を相手取る訴訟の最終弁論・結審が2/20(木)14:00より京都地裁101号法廷にて行われ、原告の京都大学職員組合、細見和之中央執行委員長より下記の通り、陳述を行いました。
↓ 2025年2月20日京都地裁タテ看訴訟最終弁論・結審における陳述〈タテ看の撤去は組合にたいする存在論的暴力である〉
http://kikanshi.kyodai-union.gr.jp/tatekan/250220_chinjutsu.pdf
2025年2月20日 京都地裁タテ看訴訟 最終弁論・結審における陳述
〈タテ看の撤去は組合にたいする存在論的暴力である〉
京都大学職員組合中央執行委員長 細見 和之
SNSなどのデジタル・メディアが偽りの情報、不確かな情報を一挙に拡散させる時代にあって、手づくりのタテ看板はその一枚一枚が文字どおりこの世にひとつしかない貴重な情報媒体として存在しています。大学でさまざまなサークルや集団が、そのタテ看板をつうじて、大学の構成員や近隣の住民に、自分たちの存在をアピールしてきました。とりわけ京都大学のサークルや集団のタテ看板は、「タテ看文化」と呼ばれるにふさわしい創意工夫の凝らされたものです。作り手が精魂をこめて仕上げたタテ看板はそれぞれのサークルや集団の個性的な顔であり声であって、それ自体で豊かな景観を形づくってきました。
京都大学職員組合も、そのような京都大学のタテ看文化の一翼を担うものとして、タテ看板を掲示して、組合の存在とその活動を、京都大学の構成員・近隣の住民の方々に50年以上の期間ずっと継続してアピールしてきました。組合によるタテ看板の設置がいわゆる「労使慣行」として行われてきたことは、京都大学側も認めているところです。ところが京都大学はその私たちのタテ看板を、なんの断りもなく二度にわたって一方的に撤去しました。「京都市屋外広告物条例」への違反という理由があげられていますが、京都大学自体もさまざま広告を掲示しています。裁判のなかで明らかになったのは、仮にその条例を根拠とするとしても、この間違反していたのはむしろ京都大学の側であった、ということです。条例を根拠にしてさえ、私たちのタテ看板は撤去されるいわれのないものでした。
私たちのタテ看板を一方的に撤去することは、京都大学職員組合が京都大学において現に存在し活動していることを、京都大学の構成員や近隣の住民の意識から消し去ろうとすることです。タテ看板の一方的な撤去がタテ看板という存在物にたいする存在的暴力であるのにたいして、職員組合の存在と活動を大学の構成員・近隣の住民の意識から消し去ろうとすることは、私たちの組合にたいするいわば存在論的暴力である、と私たちは名指したいと思います。そして、このたびの二度にわたるタテ看板の撤去という京都大学が行使した存在的暴力の本質はこの存在論的暴力にある、と私たちは受けとめています。私たちは京都大学によるこの存在論的暴力を断じて許すことができません。
自由の学風・対話の精神を謳い文句にしている京都大学で、この存在論的暴力がさまざまなサークルや集団にたいしていま行使されています。タテ看板は数十年の長期にわたって、大学内のサークルや集団の存在、顔、声を明示し、コミュニケーションのかけがえのない手立てとしての役割を果たしてきました。このタテ看板の意義を、このたびの判決をつうじて、多くの方々にいま一度見直していただきたいと思います。