総長選考・監察会議に対し、経緯の説明および再意向調査の実施を求める声明への賛同者からのメッセージご紹介

総長選考・監察会議に対し、経緯の説明および再意向調査の実施を求める声明への賛同者からのメッセージを下記の通り、ご紹介いたします。
賛同者は引き続き、募集しております。下記より是非ご協力をお願いします!

↓ 賛同募集フォーム
https://forms.gle/zkKYRtxZzupa3Fnz5

↓ 京大職組 声明
https://www.kyodai-union.gr.jp/seimei-7/

賛同者からのメッセージ

  規定で決選投票などしなくてよいというのであっても、なぜ再投票なしで票数の低い候補を選考した理由を十分に説明すべきです。選考会議の正当性が大いに疑われます。

 京大の総長選はこのやり方で京都大学が選んだと言えるのだろうか?
そのように疑問に思います。私は京都大学で働いて3年目になります。自由の学風に象徴される「京大らしさ」がとても好きになりました。日本の価値、世界の価値だと思います。
 国際卓越などの大学改革の方向性は仮に可とするとしても、「京大らしさ」は守られた方が良いと思います。京大の色々なセクターがサポーターに成らないと「京大らしい国際卓越」を形にする事は出来ないと思います。
 その為には京大の新しい総長は皆に祝福され、自らも選ばれた事に自信を持って就任する事が不可欠でしょう。
今の形では「事前に定めたルール」に従っているのかも知れないですが、その前提となっている「ルールの趣旨」は尊重されていない事になってしまい「選ぶ方」も「選ばれる方」も不幸だと思います。”

 例外的決定がなされ、それに合理的説明がないのは不審である。

 東京大学より、京大の現状を憂いております。応援しています。

 皆で選んで苦難を越えて歴史を繋ぐ Gaihan

 京都大学は知の拠点として、政官からの圧力に流されて泥船に乗るのではなく、構成員との対話や熟議を重視する伝統に矜持を持ち続けてほしいと感じます。卓越大の認定やデパートメント制導入など、大学全体のあり方が根本的に変わろうとする中で、自由の学風のために抗う京大職組に敬意を表し、連帯したいと考えます。

 公正性のあるプロセスを踏まないことで、京大が常に掲げてきた対話という価値規範を毀損している。自分たちで自分たちの大事にしているものも守れないのに、これからの卓越の中でどうして学外のステークホルダーと信頼関係が築けると考えているのか理解に苦しむ。

 必ずしも、多数決=民主主義ではないと思っていますが、密室での総長決定は最悪。立て看規制や吉田寮問題等、どんどん良い意味での京大らしさがなくなり残念に思っています。

 大学内で「既成事実を作ることで権力を恣意的に行使する」ような蛮行が起きることを、見過ごすことはできない。今回の総長選挙は、結果を見ても納得する人は少なく、それ以上に公正な手続きが踏まれているかが疑わしい。大学内の意向が適切に反映されるような選挙をやり直す必要がある。

大学自治と学問の自由、そして民主主義を脅かしうる当局の決定は、到底理解できるものではなく、十分な説明がなされねばなりません。
京大職組と連帯します!

 総長選考会議という構成員の選ばれ方も不明瞭な組織が、京大の構成員の意向を無視しした選考結果を出すこと自体に問題がある。現在発表されている選考理由は1位と2位の候補よりも3位の候補を優先する理由としては全く説得力のないものであり、選考過程が開示され、その正当性を第三者が検証できることが極めて重要である。何より、自由の学風を謳っている京都大学の総長として、このような選考過程で選ばれることは不適当であり、その理由に正当性がないのであれば、再選挙が必要であると考える。

 一般市民の考えではあるが、理と知の場である大学が意味不明な人事を強行されるのはおかしいと思う

 京大で非常勤講師をやっております。総長選考問題もそうですが、まずは大学自治を最優先に考えてください。そして職員、教員も含めた非正規労働者にもきちんと情報公開していただくことを求めます。

 総長選挙のやり直しをすべき。

 何のための投票なんですか

 ニュース等を見ていて、京大の非民主的で話し合いをまともに行わない行動や言動に悲しくなっていましたが、総長選挙でもそうなのだとより悲しくなりました。

 記者会見など報道では、第3位の候補者を選んだ理由(最多得票差が選ばれなかった理由)が開示されておらず、意向投票の結果を無視した事態に対する説明がまったくなされていない。これは意向投票自体の実質的な無効化であり、この点に関して選考会議は重い説明責任を有するのではないか。とくに、みずから意向投票に参加した選考会議の学内委員はこの事態をいったいどう考えているのだろうか。大学という専門職集団においては、組織トップと構成員の堅固な信頼関係が必要であり(この点は、2020年の東大総長選考問題に際し、一連の紛糾を受けて、小宮山宏選考会議議長自身が記者会見で認めた点である)、トップを選ぶ過程もまた、投票という透明なプロセスで行なわれてきた。それに対し、安倍政権下での一連の大学支配の制度化によって、総長の選考会議はブラックボックスとなり、「人事選考」の名のもとに選考プロセスの隠蔽が露骨に進行している。だが、大学の構成員はここで、この事態そのものの異常性を訴え、組織としての独自性にふさわしい総長選考の方法を奪い返すべきである。そのためにはまず、今回の選考過程の議事録の開示など、プロセスの透明化を強く要求してほしい。この事態を容認することは、今後の大学運営の核心部分のブラックボックス化をいっそう悪化させる恐れがあると考える。(東京大学名誉教授・田中純)

 学内民主主義に関するモラルが崩壊している。

 広島大学(2015)[※投票結果非公表]や福島県立医大(2023)、新潟大学(2025)、千葉大学(2026)で起きていた意向投票結果無視・軽視の学長選出がついに京都大学でも起きてしまいました。政府の改革路線に忖度できる総長選びのため、大学構成員の意志は無視され続けています。こんな状況を常態化させてはなりません。2010年代に法律を変更したから今のやり方は始まりました。しかし、それで大学はよくなったでしょうか。研究力は上がったでしょうか。学生にとって大学は居心地によい場所になったでしょうか。むしろ、物価上昇率を大幅に超える学費値上げ等、学生からも容赦なくむしり取る「稼げる大学」路線や、「忖度できる大学」路線が常態化したにすぎないのではないでしょうか。教育も研究も創造性を失い、息苦しい場所になっていないでしょうか。大学本来の在り方を取り戻すために、声を上げ続ける京大職組を心から応援します。

 学内の意向を無視する学長選考があちこちの大学で起こっています.大学と若者を知的資産として支配する方向での大学運営の仕組みが作られようとしているのだと理解しています.京大の状況は全国の大学に大きな影響を与えます.京大での総長選考・観察会議の説明責任を問い続けることは大変重要だと思います.

 権威主義の誘惑に負けないで。独裁者に責任転嫁できる無責任横行のアカデミアでよいわけない。民主制のいいお手本としての京大に期待します

 12年前の広島大学長選考においても得票数が1位ではない越智氏が「学長選考会議」により、学長に選ばれました。結果として、もうさんざんの12年間となりました。

 投票の結果を無視しているのは良くないと思う。また、学生に総長を選ぶ権利がないのはどうなのだろうとも思う。

全国の国立大学でも同じことが起きていますし、私の勤める大学でも同様のことがいつ起きないとも限りません。頑張りましょう。

 意向調査で下位の人物が総長に選考されることは、単に学内民主主義の毀損であるばかりでなく、選考される総長本人にとって気の毒なことでもある。学内から充分な信認を得ていないにもかかわらず学内行政のトップに立つことは、前途多難を容易に想像させる事態であり、当の総長が余計な苦労を背負い込むことになりかねない。プロセス(再度の意向調査、そして過半数獲得者がいなければ上位2人で言わば決選投票的な再調査、を実施する、など)を予め明確化した上できっぱり再意向調査を実施するほうが、学内の状況を的確に束ねることに資するのではあるまいか。京都大学の自由闊達さに或る種羨望の念をいだいている他大学所属の人間として、自由な雰囲気を壊さないよう重々配慮していただきたいと、総長選考・監察会議のメンバーの方々には心からお願いしたい。

 同じ西日本の国立大学職員として、この選考の歪みを見過ごすことはできません。
 まっとうな大学組織のガバナンスを取り戻し、民主的な組織運営がなされることを求めます。

 卓越大学認定を受けて京都大学の「改革」を一丸となって進めていこうという従来の総長の見解・メッセージに沿えばこそ、新総長の選考は学内の意向を最大限に尊重すべきではないでしょうか。そのためには、過半数に達する候補者が出るまで、再意向投票を行うべきではないでしょうか。学内の対話の不十分さを反映した意向選挙の結果に対して、選考理由の丁寧な説明と再意向投票の実施を強く求めます。

 今回の京都大学総長選考問題は、とても驚きました。長い歴史を経て、形成された京都大学の学風が、大きな力で壊されているように感じています。国際的に評価される大学として存在し続けるためにも、全学が納得できる総長を選び直す再意向投票が必要だと思います。

 教職員の意向以上に優先すべき理由があるとすれば、よほどの説明が必要だと思います。

 民主主義の手続きを破壊する行為は愚かで非道な独裁体制を可能にすると思います。京都大学の学生、教職員の皆さんが、その犠牲になってはいけないと思います。また、このような醜悪かつ恐ろしいやり口が他の大学等の教育機関にも広がっていくことを非常に懸念しています。抗議の声を上げてくださっている皆様に連帯します。

 こんな説明で、論理が命である学問の担い手が納得できると思う、そんな学問の担い手が京都大学にいることが不思議である。

 母校がこのような形で話題になってしまうのはとても悲しいです。どうか、この問題がきちんと解決されますように。

 意向投票の結果が明白なのに構成員に何の説明もなしに第3位の人物を選ぶというのは組織の信頼関係を破壊する暴挙である。平野敏夫氏はこれを直ちに撤回し、専攻会議議長を辞職すべきであり、立川氏も就任を拒否すべきである。

 政治だけでなく大学でも民主主義の原則が破壊されている現状に危機感を覚えます。

 選考(投票者)を蔑ろにしています。こんなことが罷り通るなんておかしいです。公正公平な選考のやり直しを求めます。
理性の場であるはずの大学でこのような蛮行がまかり通っていることがとても悲しいです。

 京都大学における今回の総長選考をめぐる問題について、京都大学職員組合の声明に強く賛同します。京都大学の卒業生として、同じ国立大学に勤務する教員として、大学の自治と学問の自律性を重視する研究者として、この問題を一大学の内部問題として見過ごすことはできないと感じています。
 私は2年前、当時勤務していた千葉大学において、これとよく似た問題を経験しました。学長選考の過程では、候補者が所信を述べ、学内を回り、教員との懇談を重ね、各構成員は大学の将来を真剣に考えて意向を示しました。それは単なる形式的手続きではなく、大学の将来をめぐる重要な討議の場でした。だからこそ、その結果が十分な説明なしに軽視されたとき、多くの教員の間に強い違和感と不信感が生じました。
 今回の京都大学の事態についても同じことを感じます。意向調査の結果が最終決定を法的に拘束するものではないとしても、学内構成員が真剣に示した意思を覆すのであれば、その理由は具体的かつ説得的に説明されなければなりません。とりわけ、上位の候補者ではなく3位の候補者を選出したのであれば、どのような基準に基づいてどのような議論を経てその結論に至ったのかを明らかにすることは、総長選考・監察会議の最低限の責務です。大学の長の正統性は、制度上の手続きだけでなく、構成員の信頼と納得によって支えられるべきものです。
 この問題は、単なる人事手続き上の問題にとどまりません。私は、近年進められている「稼げる大学」への誘導、すなわち大学を外部資金獲得能力や短期的な数値目標によって評価し、政財界の要請に沿う形へと作り替えようとする大きな流れと深く関わっていると考えます。
 大学は、学問を担う研究者と、学問を学ぶ学生によって成り立っています。そこで何が学問的価値をもつのかを判断できるのは、その学問を担う専門家です。私の専門である数学において、ある研究が本当に重要であるかどうかは、短期的な収益性、論文数、引用数だけで測れるものではありません。これは数学に限らず、あらゆる学問分野に共通することです。
 ところが近年、運営費交付金の削減、外部資金への依存の拡大、短期間での「成果」の要求、指標による研究評価への過度な依存、収益化や軍事転用に結びつきやすい研究への重点化などを通じて、大学が何を研究すべきかを外部がコントロールする度合いが強まっています。こうした流れの中で、学内の熟議や専門家共同体の判断が軽視されるならば、大学の自治は形骸化します。
 京都大学はいま、国際卓越研究大学をめぐる動きの中で、大きな組織改革を迫られています。現在、私が勤務する東京大学でも総長選考が進行しており、国際卓越研究大学に認定されなければ財政的に立ち行かないという危機感が盛んに語られています。京都大学で起きていることは、決して京都大学だけの問題ではありません。
 だからこそ、今回の総長選考において、総長選考・監察会議が十分な説明責任を果たすことはきわめて重要です。意向調査の結果をどのように受け止め、なぜ今回の結論に至ったのかを明らかにし、必要であれば再意向調査を実施することは、大学自治の根幹を守るために必要なことです。
 京都大学が長く掲げてきた自由の学風を空洞化させないためにも、今回の選考過程について、総長選考・監察会議が誠実かつ具体的な説明を行うことを強く求めます。
東京大学大学院数理科学研究科・教授・松井宏樹

 主として「国際卓越研究大学」の方針を熟知しているという理由により、立川さんが選出されたのだと理解しました。「国際卓越研究大学」を主導する思考は、大学における「選択と集中」を加速させ、全国の大学間の教育・研究上の格差を生み、大学という環境そのものを不安定にするのではないかと懸念しております。
 京都大学がただ新自由主義的な世間の常識を反映するのみとなり、学生・教職員たちの連携のもとに成り立つ自治の精神を軽んじ、大学の本来の役割すら忘却するのなら、京大はもはや大学とは名ばかりの惰性の集合体と見られるべきかと思われます 。
 自由の学風、大学の自治、これらは「真理を究明する」という大学の本来の役割のためにあったのではないでしょうか。一見世間から逸脱したように見える大学の研究活動は、それ自体が逆説的に、社会への貢献でもあります。必ずしも経済的に有益な報酬が得られる貢献とは限りませんが、地道な研究の積み重ねが築く信頼は、易々とお金に代替できるものではありません。
 また京大の学生は、「真理を究明する」という事業において、研究者によって刺激され、同時に研究者を刺激しています。学生という存在は、真理の究明に当事者として関わっています。高い学費、返還困難な奨学金、これらは学生の生活と将来を不安定にし、学生は、自らの安定のために、利己的な思考に傾かざるを得なくなっているのではないかと懸念します(非常勤職で食いつなぐ研究者も同様と思います)。学生たちは守られねばなりません。
 大学とは本来何のためにあったのか。大学はどのような土壌から生まれ、本来の役割を守るために今の社会とどう向き合うべきか。今回の総長選考問題は、私たち自らの「何故に、何のために」を見つめなおすためのよい機会と思いました。
独断的にではなく、互いの欠如を補いながら共に考え決めていく姿勢、そうしたコンシャンスが京大に生き残っていることを願ってやみません。

 何故、3位の方が総長になるのか、理由がわからない。

 京都大学を構成する教職員、学生に情報が開かれないまま、選挙が進んで行った感じがしています。一職員として許せない気持ちです。

 私の在学している東京大学でも現在総長選考プロセスが進行しています。稼げる大学・金になる学問の推進に向けて政府の経済的圧力が厳しい中、大学組織が真に学問の振興と大学の自治を擁護するものであるために、すべての大学人が共闘すべきときであると考えます。
“過半数の票を獲得した候補が選出されない総長選が行われるとは,京大の自治・自由の学風ひいては存在意義が風前の灯火となる由々しき事態である.

 前(現?)総長も過半数の票を得ずして総長となったことも忘れてはならない.つまり前回の総長選から京大の自治・自由の学風は揺らいでいるのである.今こそ歪んだ状態を是正する最後のチャンスである.
特定候補への人格的批判ではなく、意向調査結果と異なる選考をした理由の具体的説明と手続きの透明化を求める趣旨で賛同します

 私大の事務職員をしていました。利害関係が明白?な私大ならまだしも、国大でこのようなナゾ選出では、その選出関係者以外の誰もが納得しないと思います。既に多数決の投票数すら無意味にしてしまってますものね。
 京大ともあろう大学で、庶民としても驚きしかありませんでしたため、不躾ながらこちらにてメッセージをお送りさせていただきます。

 すくなくとも、構成員には、総長を決めるにあたって、どのような議論がおこなわれたのか、知る権利があるのではないでしょうか。

 得票総数の20%、第3位の候補者を総長に選出することで京都大学には深刻な分断が生じるでしょう。そのような状態ではたとえ国際卓越大学の資金を得ることができても世界に冠たる地位を占めることは難しいと考えます。

 不透明な選出で、不信感が一杯です。公正な情報公開を求めます。

 大学内で良識を示し得る集まりとしての京大職組を応援します!

 意向投票結果の3位者の当選は誰が見ても納得できるものでない。早急に是正が必要。

 どの先生も立候補できる状態でないことも大問題ではないですか!

 京大だけでなく、日本の多くの大学が、「国のため」もしくは間接的にも「国が問題だと思っていること」に研究がよっているような空気感を感じます。卓越大認定が大学の研究内容にどのように影響するかは知りませんが、総長選含め、プロセスを明確にすることは重要だと思います。

 前回の湊氏ですら、意向調査で、過半数ではないとはいえ(4割)、1位だった。3位を選ぶのでは、なんでもありではないか。

 学校法人化ときいても、それ自体問題がないように聞こえる。しかしそれは、「法人化」という名称が実態の性質に過ぎず、実態そのものではないからである。この名称で、「京都大学が資本主義の論理に巻き込まれる」ということが見えなくなってしまう。今回の選考の背景に資本主義の流入という問題があったことから目をそらしてはいけない。
 京都大学に資本主義の論理が入ることは、卓越大認定や、学生への管理体勢拡張といった事柄と連環して問題になっている。そしてそれらは究極的には、「自由の学風」が壊れてしまうという問題なのである。今回の候補者五人は全員自由の学風を堅持する姿勢を明らかにしているが、一般論で正しいと言われることが言えても、こころがそれについていっているかは全く別問題である。そもそも自由の学風とは白黒はっきりつけなくていい余白部分であり、ブリコラージュ的に世界観を組み立て自己実現することを許すことである。「自由の学風」が「ジユーノガクフー」として形骸化すれば、学問での幸福追求が難しくなり、器用ではあるが教養に乏しく、AIにすぐとって代わられる人材ばかり生み出すことは必然であり、学校法人として大学の体裁を整えようとして結果的に自己破壊を招く結果になるのは、まさに人類が地球環境を破壊してきた構図と同類型である。
 現代京都大学が抱える問題を言葉尻だけで誤魔化すのは容易いが、我々は教養ある市民としてこれを直視し、公然と主張することが求められよう。
京都大学教育学部B2 Y”

 透明性のある選挙の実施を期待します

 教職員の投票結果を無視した総長選考になったのは、結果はもとから決まっていたのに不満がでないよう形だけ投票をさせたのだと思う。
投票結果が反映されると信じて、考え、投票した教職員はバカにされたようなものだ。

 他の候補者ではなく立川氏が総長にふさわしい理由を明確にしてください。有権者だけでなく学生が納得することも必要です。国際卓越研究大学として、悪例ではなく模範を示してください。

 ただ大学自治の行く末を憂います

 他県の元大学職員です。
 過去に京都大学さんと似たようなケースがあり、大変憤りを感じました。ですから京都大学さんには頑張っていただきたいと思います。

 
 

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